医学怪文書大全〜演芸その他の館〜

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                  梅毒乃研究
                                                                      2000年6月(大全その27)

 第二次世界大戦直後の数年間、梅毒が猖獗を極めたそうだが年配の方々は
覚えておいでだろうか。
 昭和二十二年に出版された『梅毒乃研究』は、この病に一身を賭けた須広
平太博士の渾身の書であるという。巴里都夢出版社刊。
 昔の梅毒の治療は大変だったようで、砒素剤や蒼鉛剤、はては水銀剤など
恐ろしげな薬品を用いて治療せざるを得なかったようだ。当然副作用も強く
治療にかなり難渋したらしい。そのような状況を打破しようとしたのが須広
博士である。
 《往昔より駆梅薬は数多くあれど、その効芳しからず》というわけで有効
な治療法の開発を目指すのだが、まず敵を知ろうと、自ら梅毒に感染するこ
とを試み、花街へ繁々と通う。
 《待合「もみぢ」にて相方の面相を見るに極めて美しく、これなら感染の
機会多かるべしと考え》などとずいぶん勝手なことが書かれている。その後
は伏字が多く意味が通じ難い。
 《余、襟に×を××すると×× が×××。相方は目を閉じて×× を出し
××へ ×××、「××わ」と×××。いとうるわしき××× と ×× 》
こんな文章が延々と続くので、割愛して感染に成功したあたりを紹介する。
 《菌は ×× より侵入し、×× の冠状× に硬結が出現す。三週間前の
「もみぢ」の美人が感染源に相違なかるべし。大事に育成を企らんとす》
 その硬結に潰瘍が形成され、滲出液から培養した梅毒菌で須広博士はさま
ざまな実験を繰り返すがなかなか成果があがらない。そのうち脇腹から胸に
かけて薔薇色の皮膚炎が出現しても《彼女の口唇の色に相似たり》などと、
のん気なことを書いているのだから研究が進まないのも当然かもしれない。
 研究生活も十年になろうとする頃、博士は自分の声が鼻に抜けるのを感ず
るようになる。鼻粘膜にゴム腫性変化が現われたのだ。殆ど鼻欠け状態とな
りながらも研究を続行する真摯な態度に胸をうたれない読者はいないであろ
う。博士はゴム腫の部分を削り取ってさらに研究するのである。ついに治療
の有力なヒントを得る。
 《梅を天日に曝して梅干とするは古来の定法なり。太陽熱は梅の毒を消失
せしむ。いわんや梅毒においてをや》というわけで、熱で梅毒を治そうと考
える。熱い湯に入ったり、天日に一日中あたって熱射病になったりして実験
を繰り返すうち、須広博士は志半ばで死亡してしまう。
 その数年後に『梅毒乃研究』が出版されたのだが、須広博士とは別人の手
による「後書き」がある。
 《脳室拡大シ、皮質極メテ菲薄ニシテ肉芽様浸潤肥厚著シク、彼ノ思考必
ズシモ論理的正鵠ヲ得ルコトナカルベシ》などと記載されている。博士を病
理解剖した学者が書いたらしい。
 かつて、発熱させるためにマラリアの患者の血を注射した治療法もあった
というがこの本を参考にしたのだとしたら問題だと思うのだが。
*注:Treponema pallidum というスピロヘーターの感染によって発病するのが梅毒です。
  コロンブス一行によって、アメリカ大陸からあっというまに全世界に広められました。
  感染後三週間で硬結が局所にできて、三ヶ月でジンマシンみたいな薔薇疹ができて、
  三年後に結節をつくる梅毒疹ができ、その後、脳梅毒になるものもあるといいます。
  20年周期で流行すると言われているので、もうじき流行するかもしれません。 

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*参考文献:内科診療の実際・臨床組織病理学
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                  あわて床屋考
                                                                      2004年1月(大全その39)

 最近は何かと物騒な世の中である。怪我人も多い。外傷に関する文献を検
索していたら耳の外傷に関する論文を見つけたので、さっそく取り寄せた。
北方猫熊著『あわて床屋考』である。昭和十年版『外科異論』に掲載。
《この論文を綴るに先立ち断りおくは、床屋はもと外科医であるという根拠
に両者とも鋏を使うという某氏の『伝説学』を全面的に支持するものではな
い》難しい言い回しである。
 『あわて床屋』という童謡がある。
 理髪店を営むカニが客の兎の耳を誤って切り落とすという残酷な北原白秋
の詩に山田耕筰が心浮き立つ曲をつけたことで知られている。
 猫熊氏はその切られた耳の治療について考察するのだがかなり脱線する。
カニや兎についての話が延々と続く。
 例えばカニについては、やれ《豊玉姫が大好物》であったとか《美少年に
化けて農娘を誘惑する》とか怪しげな話ばかりが並ぶ。
 兎についても同様である。
《野兎の耳長く、岩兎の耳短いわけは岩兎、笹の葉を嫌うゆえ》などと書い
てある。笹の葉を食べると耳が長くなるらしい。
《尻に九孔あり。痙攣性便秘の如き糞を排すという古説があるが、予まだ尻
の穴までは数えなんだ》
 脱線はまだまだ続き、論文の半ばでようやく外科学の話にたどりつく。
《富山某の『国民大辞典』に外科学をギリシア語でチルギアというはチェイ
ル(手)とエルゲイン(行為)とを連ねたものとある。外科学は主として手
の行為によりしによる》と述べて、その傍証として、古代ギリシャの外科医
資格試験の様子が書かれている。
《細紐を輪になし、試験官が両手にかけ、受験者が紐を摘んで受け、はしご
琴、朝顔、その他いろいろの綾を作り》稚拙な者は不合格とされたという。
《先般、予の心安い外科医に試すと盃しか出来ず、先の話を聞かせると、手
先より頭が大切と負け惜しみを云うた》
 切られた耳の治療の部分がなかなか出てこない。
このあと、シャボンの起源や、カニの泡と銀行の泡の物質的相違についてが
述べられたあと、北原白秋と床屋の奇しき因縁について記されている。
《白秋、小田原のなじみの床屋にて散髪中眠気を催し、居眠りしたところ体
がピクと突然動き、耳を傷つけられたが、床屋のおやじ驚きもせず「切り落
とすような腕じゃござんせん」と自慢したという》
 このとき《床屋自らの唾液を指でこすりつけ》傷の手当てをしたが、こう
いう治療は駄目だと書いている。
しかし白秋の傷はすぐに治って『あわて床屋』という童謡を作ったそうであ
るから、不幸中の幸いというべきだろう。
《紙数が尽きた。傷は床屋ではなく医者でなおせ》と最後に大あわてで書い
ているが、なるほど『あわて床屋』ではある。
  北原白秋と床屋さんの関係は小田原の観光のページにございます。→クリック。
  あわて床屋の顛末は、当HPにもございます。→クリック。

   

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*参考文献:南方熊楠全集(ミナカタクマグス)・国民大百科事典(富山房)
  
  南方熊楠という方に一度はお目にかかりたいと思っておりましたところ、はからずも、
  今は亡き私の義父が全集を持っていたことを聞き及び、誰も読む人がいないということ
  ですので、国民大百科事典という昭和初期の百科事典と共に南方熊楠全集をいただいて
  しまいました。
  興味は津々として尽きることなく、私の頭は、次第次第にと、生まれる前の時代へと、
  退化していくのでありました。