医学怪文書大全〜演芸その他の館〜 |
ぼくが病気になったとき |
以前、ひどい眩暈にみまわれたことがあり、いくつかの診療科を 受診した |
経験がある。また『吾輩は患者である』を熟読して、患者の気持ちはよく解る |
つもりではあるが、人はさまざまである。著名人の『ぼくが病気になった時』 |
という体験集を読んでその辺の心理を勉強するのも無駄ではあるまい。 |
まずはこの本のタイトルにもなっている有名な山上清画伯の体験文。 |
《ぼ、ぼくははなみずをたれてしまったので、おいしゃにいってかぜをひいた |
ぞといったら、おまえがいしゃかとしかられたので、ぼくの病気はなんですか |
ときいたら、かんぼうだといわれたので、びっくりして家に帰って薬をのんで |
いたら、となりのおばさんが何をのんでいるのかときくので、かんぼうという |
病気になったので、もうたすからないのでおばさんさようならといったらかぜ |
ぐらいでしなないよといわれたので、おばさんはばかだな、ぼ、ぼくの病気は |
かんぼうなんだなというと、おばさんはかんぼうもかぜも同じだといった》 |
やたら漢字の多い本ばかり紹介していたので、この文にはほっとさせられる。 |
画伯はいつも薄着で過ごしており体格も良いのだが、案外蒲柳の質のようだ。 |
次に軍人の乃儀有介の体験文を紹介する。 |
《余、宿舎ノ新タナ浴場ニ入浴セントス。湯玲瓏れいろうトシテ冷シ。 |
窓ヲ開ケレド、薪まき無ク人影見エズ忽たちまチ腹痛顕レ瀉げりスルコト甚ダシ。 |
軍医ニ診察ヲ乞フ。腹はら按あんズルコト数度、頭傾かしゲルコト幾度いくたび。 |
而後しかるのち医曰いわク、風寒ふうかんノ邪じゃ、中焦ちゅうじょうニ入レリト。 |
其ノ意不可解。再度問フコトヲ躊躇ためらフ》 |
今度は漢字ばかり。後ろに有名な漢詩が続く。 |
山泉入浴転凍涼 (山泉さんせん入浴転うたタ凍涼とうりょう) |
浴槽風腥新洗場 (浴槽よくそう風かぜ腥なまぐさシ新洗場しんせんじょう) |
腹痛不癒瀉不止 (腹痛なおらず、げりやまず) |
後架場外立愁腸 (トイレの外で悲しみにひたる)*注 |
要するに、乃儀将軍は ぬるい風呂に入って腹痛に襲われたのだが、軍医の |
説明がよく解らず茫然とした という意味だろう。このように難しい文章を書 |
いても、こと医学に関しては簡単なことでも理解しがたいことが多いようだ。 |
この他にも 胃潰瘍に罹患した顛末を記した文豪秋目漱咳の文章や、不明の |
植物により皮膚アレルギーを来した 植物学者槇野豊太郎、さらに蜂の大群に |
襲われて死にそうになった 夜盗の親分蜂巣家大七の体験などが載っている。 |
文章は現代文あり、古文あり、漢文ありで統一性がないが、内容は共通して |
おり、医師とのやりとりの行き違いがそれぞれに述べられている。 |
改めて、インフォームド・コンセントの重要性と難しさを教えられた。 |
*注:後架ってもう死語なんでしょうか。 さし絵を見たい方はここをクリックしてください。 *参考文献:「裸の大将放浪記」「金州城下作」 |
病床八賢犬伝 |
最近は、リハビリなどのスタッフに犬や猫が参加し、なかなかの成果をあげ |
ているようである。積極的に動こうとしない麻痺のある患者さんが、犬や猫が |
近づくと体を撫でようとごく自然に手を動かすようになるなど、大きな効果が |
あるそうだ。特に犬は優しい眼差しで患者さんを見つめ、撫でられてもそっぽ |
を向いている猫よりも、コミュニケーションが良いようだ。 |
ところで、犬が治療の手助けをする話は昔からあり、かの滝本馬金の著した |
『病床八賢犬伝』に詳述されている。世界各国の賢い犬が八頭紹介されていて |
日本からはハチ公が選ばれており、長く病床に臥せっている主人の顔や手足の |
清拭を行った涙ぐましい話が記されている。ハチは、家の横の川でオムツまで |
洗ったそうである。 |
米国からは、精神的な悩みを抱えている人々のカウンセリングを、ブラウン |
管を通して行っていたラッシーとリンチンチンが紹介されており、このお二方 |
には小生も子供の頃お世話になった記憶がある。 |
その他、英国、中国、仏国や南極の賢犬が紹介されているが、発熱した病人 |
のために氷を運んだり、耳の穴を掃除したり、背中や肩をマッサージしたりと |
頭の下がる奉仕ぶりである。 |
滝本氏がこの本を出版した目的は〈犬にも国家試験を行い、介護士としての |
資格を与えるべきである〉という、氏の悲願を広く知らしめることにあるらし |
い。そのことは、八番目の賢犬の話を読めば理解できる。 |
《ウィーダの愛犬はとても賢かった。彼女が風邪をひいて悪寒をおぼえると |
愛犬は襟元にねそべり毛布の隙間から寒気が入らないように気を配った》とい |
う。この犬の名前は伝わっていないようで、終始ウィーダの愛犬と記されてい |
る。小説家でもある彼女は、執筆の際にも愛犬と片時も離れない程、可愛がっ |
ていたらしい。 |
《犬は賢い。国家試験も可能である。このことはウィーダの日記からも証明 |
できる。一月十日の日記を引用する。『私がようやく原稿を書き終わり、出版 |
社へ連絡のため部屋を一時空けたのであるが、再び部屋に戻ると、我が愛犬が |
椅子の上に乗り、前足は机の上に乗せて一心に何かしているではないか。 |
(やはり畜生の浅はかさ、せっかく苦労の原稿をいたずらするとは)と心の中 |
で舌打ちし、わざと足音高く部屋に入ったとき、私は自分の早合点を恥じ入っ |
たのである。足音に振り向いた我が愛犬の目は真っ赤に充血し、涙が溢れてい |
たのである』》 |
愛犬は彼女の原稿を読んで感動したのだ。 |
そのタイトルは『フランダースの犬』であった。 |
小生も犬の介護士には賛成である、犬は利口だ、と書いたら傍らの猫が小生 |
の足を囓った。 |
さし絵を見たい方はここをクリックしてください。 *参考文献:「南総里見八犬伝」 |