2004年8月
オリンピック3日目。
横澤由貴選手が、残り1秒で優勝候補に逆転勝ちしたことは
私にとって、衝撃的でした。
思わず、大声を上げました。
猫が飛んで逃げました。
切れ長のさわやかな目をした横澤選手に大きな拍手を送りました。
しかし、負けたサボンにも、私は大きな感動を頂きました。
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★アマリリスの涙 04/8/31up
横澤由貴は有効を取られた。
残り時間は35秒。
そのまま、横澤は押さえ込まれる。
かろうじて逃れたとき時計は残り25秒で止まった。
だが、圧倒的なサボンの攻撃もここで止まった。
アマリリス・サボン。
キューバの柔道を長く支えてきた選手だ。
谷がまだ田村亮子のときから、ずっと48キロ級で闘いつづけていた選手。
そして、ずっと田村に負けつづけてきた選手。
結婚し、女の子の母親となり、52キロ級に上げてきた選手。
サボンは疲れたのだろうか。
ここから若い横澤の捨て身の攻撃に圧倒される。
袖をつかんで横澤が投げにいったのが残り19秒。
サボンと横澤はもつれあって倒れた。
技はポイントにはならなかった。
サボンは抱きついたまま寝技でもみ合い、時間の過ぎ去るのを待てばよかった。
日本のコーチが叫ぶ。
「場外へ出ろ!」
横澤は転がり、二人の体は場外へ出た。
時計が止まる。
残りは10秒。
少し下がるサボン。
勝利は目前だ。
今まで48キロ級で一度だけ銅メダルを取っただけの、
オリンピックでは負け続け、シドニーでは準々決勝敗退のサボン。
13歳で柔道を始め、14歳で国際舞台に立ち、
その後にデビューした田村亮子と常に激闘を演じていた。
田村のライバルと言われ続けていたが、田村に勝つことはなかった。
しかし、母親となり、階級を52キロに変えての世界選手権チャンピオン。
大阪で行われた国際大会でも優勝している、2003年世界チャンピオンだ。
横澤がつかみかかる。
もみ合ううち時間は過ぎ去る。
横澤がサボンの右袖をつかむ。
残り3秒。
横澤がサボンの右袖を担ぐ。
右肘がきめられたようになったサボンの体は横澤の背中からもんどりうって畳へと落ちた。
残り時間は1秒だった。
主審が「一本」を宣した。
袖釣り込み腰だ。
サボンはまたオリンピックで決勝に残れなかった。
畳の上に仰向けに倒れたまま、両手を頭にあてたサボン。
横澤と握手したあと、後を向いて両手を腰に当てた。
3位決定戦。
サボンは鮮やかな巴投げで一本勝ちをする。
横澤に負けても涙を見せなかったサボンは、まるで相撲の親方のような、
小錦そっくりのお腹をしたコーチに抱きついた。
そして泣いた。
「あ〜、サボンが泣いてます。悔し涙でしょうね。」
「そうですね〜、金メダルが欲しかったんでしょうね〜。」
サボンは懸命に唇をかみしめようとしていたように見えた。
しかし、コーチに肩を支えられるようにして控え室に向かいながら、唇の間からは嗚咽がもれていた。
アナウンサーは悔し泣きと言っていたけれども、私は、画面を見ながら、きっと違うと思った。
13歳で柔道を始め、30歳まで闘いつづけたサボンの涙は単なる「悔し涙」ではない、もっとたくさんの意味を持っている涙であろうと、思った。
万感の想いのこもった涙に違いない。
だから、表彰式ではさわやかな笑顔だった。
二日後の新聞の片隅に、サボンの記者会見の内容が掲載されていた。
人間としても選手としても、私が母であることは大切なことです。
私の娘のことはいつも考えています。
オリンピックの結果にはとても満足しています。
アマリリス・サボン。
美しい花は、引退するのだろうか。それとも、まだ闘うのだろうか。
柔道は高校生のときに体育の時間で習ったことがあります。
受身とかね。
背中におできができていた私は、痛いので、変な風に倒れて先生に叱られてしまいました。
柔道の絞め技をかけていただいて、落とされそうになりました。
柔道部の連中は、足首に自転車のチューブを巻きつけていたり
蟹股で歩いていたり、
ま、そういうイメージでありました。
そんなわけで、
アマリリスという柔道とは不似合いな名前ではありますが、
サボンにはふさわしいと思いました。
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