名作どうわ選 

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2006/06/25

 どじょっこふなっこです。

どじょっこふなっこという歌があります。
東北弁ということでしょうか。
私は、森繁久弥の唄う
〜〜〜思んべな〜〜〜というところが好きですね。

眠狂四郎は柴田錬三郎の原作は殆んど読んでいません。
映画は、見ました。
もちろん、市川雷蔵です。

無明の闇にありながら「ただよう気品」映画界のカリスマ
雷蔵さまの、明晰な口跡、しびれるような声。

今回は、雷蔵さまの台詞回しを頭の中で再生してお読みください。
再生するものがない方は、ニヒルな感じで声に出してお読みください。
照れてはダメです。
あなたは雷さまじゃないのですから。

 
       どじょっこふなっこ    眠狂四郎みたいな無頼の浪人
                            (市川雷蔵みたいな人が演じます)

女。
だれにやとわれた。
先ほど、酒の中に入れたシビレ薬はだれに頼まれたのだ。

女、知っておけ。
俺にはそのような薬は何の意味も持たぬのだ。

女、お前は春を知っていよう。
しかし、春を、いや季節さえ知らぬものもこの世にはおるのだ。
この庭先の氷に覆われた小川の水底に縮こまる「どじょっこ」「ふなっこ」の心情を、おのれは知るまい。
氷が溶け、水面
(みなも)の片隅から淡い光がさしこむとき、無明の闇にうごめくちっぽけな生き物達は、夜明けの光明を見るのだ。

この小川には、夏になると近所の童が水浴びに来るのだ。
そして、水底の「どじょっこ」「ふなっこ」は、鬼がきたと恐れ、水草やどろの中に隠れるのだ。

女、お前には「どじょっこ」「ふなっこ」をあざ笑ろうことは出来ぬ。

庭の木々は、秋には紅葉する。
そして、その小川に落ちて流れる。
水底で息をひそめたものたちがどう思うか知るまい。
「から紅
(くれない)に水くくる」とは決して思わぬ。
舟が来たと思うのじゃ。

女、先ほどからシビレ薬が何ゆえ効かぬのかと、いぶかしく思っておるのであろう。
この小川の冬のありさまは、見てわかっておろう。
ほれ、石を投げてみよ。
川面は一面冷たく凍てついている。
しかし水底の「どじょっこ」「ふなっこ」は少しも悲しまぬのだ。
いや、悲しむことを知らぬ。
ゆえに、夜が来たとは思わぬ。
天井ができたと喜んでおるのだ。

女、あわれな。
薬を間違えたのじゃ。
おまえのおかげで、今まで難儀していた鼻水がぴたっと治ってしまったぞ。
礼をいたそう。

おしまい

市川雷蔵は好きです。
眠狂四郎も好きですが、たぬき御殿なんていうのも好きです。
モモヒキを着物の上からはいたりして歩く殿様の役なんていうのも
結構ですね。
口跡がいい。声がいい。ハンサムである。鼻の下がやや長い。
どうして、好きになったのかというと、私の母親が好きだったのですね。
それで、子供である私なんかダシにされて、一緒に見たんですね。
弁天小僧、良かったなあ。

どじょっこふなっこ、このあとどうなるのでしょうか。
やっぱり、円月サッポウかなんかでこの女はやられちゃうんでしょうか?

ま、ひさしぶりということで、こんなところでよろしく。
           藪野菜加太