女。
だれにやとわれた。
先ほど、酒の中に入れたシビレ薬はだれに頼まれたのだ。
女、知っておけ。
俺にはそのような薬は何の意味も持たぬのだ。
女、お前は春を知っていよう。
しかし、春を、いや季節さえ知らぬものもこの世にはおるのだ。
この庭先の氷に覆われた小川の水底に縮こまる「どじょっこ」「ふなっこ」の心情を、おのれは知るまい。
氷が溶け、水面(みなも)の片隅から淡い光がさしこむとき、無明の闇にうごめくちっぽけな生き物達は、夜明けの光明を見るのだ。
この小川には、夏になると近所の童が水浴びに来るのだ。
そして、水底の「どじょっこ」「ふなっこ」は、鬼がきたと恐れ、水草やどろの中に隠れるのだ。
女、お前には「どじょっこ」「ふなっこ」をあざ笑ろうことは出来ぬ。
庭の木々は、秋には紅葉する。
そして、その小川に落ちて流れる。
水底で息をひそめたものたちがどう思うか知るまい。
「から紅(くれない)に水くくる」とは決して思わぬ。
舟が来たと思うのじゃ。
女、先ほどからシビレ薬が何ゆえ効かぬのかと、いぶかしく思っておるのであろう。
この小川の冬のありさまは、見てわかっておろう。
ほれ、石を投げてみよ。
川面は一面冷たく凍てついている。
しかし水底の「どじょっこ」「ふなっこ」は少しも悲しまぬのだ。
いや、悲しむことを知らぬ。
ゆえに、夜が来たとは思わぬ。
天井ができたと喜んでおるのだ。
女、あわれな。
薬を間違えたのじゃ。
おまえのおかげで、今まで難儀していた鼻水がぴたっと治ってしまったぞ。
礼をいたそう。
おしまい
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