金田一耕助と磯川警部が人力車を並べて森の入り口に着いたのは昭和××年八月下旬のことで、警部が久しぶりにとれた休暇を利用して、八つ墓村事件と鬼首村事件解決の労をねぎらおうと、東京の金田一事務所に電報をうったのがきっかけだった。
森の入り口で人力車をおりた二人は、これからキャンプをしながらバードウォッチングをしようというのである。
彼らとて機械ではなく人間なのである。
たまには何者にも煩わされぬ休養がほしくなるのも当然だろうではないか。
しかし、むろんのこと、これから森の奥で遭遇する異様な事件のことなど、このとき金田一耕助の夢想だにすることではなかった。
森の中を歩きまわっているうちに十坪ばかりの広場を見つけ、今夜のキャンプ地にしようということになり、磯川警部がテントを張っているところへ、金田一耕助がよれよれの夏袴をたくし上げて、高下駄を大またに踏みしめながら、
「警部さん、今、用足ししようとしたら、この先の大きな藪の向こうに変なものを見つけましたよ」
「また事件ですか」
と、磯川警部はちょっとうんざりしたようなうれしいような、何ともいえない顔をして、
手ぬぐいで額の汗を拭った。
「よし、行ってみましょう!」
藪の向こうには鉄の扉が少し開いている焼け焦げた大きなパン焼き釜があり、さっきからあたりに漂う異様な匂いは、どうやらそこから発生しているようである。
磯川警部はそこらに落ちていた棒きれで、おそるおそる扉を開けると、ぎょっとしたような顔で、
「金田一さん、ちょっとここにいてください。わしは無線で地元の警察に連絡してきます」
と、いそいでテントに戻って行った。
パン焼き釜の中には、黒く焼け焦げた大きなパンのかたまりの上に、どのような焼け加減かを調べるかのように、両手を伸ばして上半身をパンの上に覆い被さるように、何者かの屍体がほとんど真っ黒に焼け爛れて膝まづいていたのである。
結局、地元の警察が現場に到着したのは翌日の朝であり、捜査は管轄外でもあるので彼らに任せて、金田一耕助と磯川警部はさらに森の奥へとバードウォッチングに出発していった。
一週間の楽しいキャンプの後、森の入り口に戻ってきた二人を待っていたのは、出発のときに約束していた人力車の車夫ばかりでなく、意外にも地元の立花愚裏夢警部補も一緒だった。
磯川警部は懐かしそうに
「いや、立花君じゃないか。
そうにこにこしているところを見ると、パン焼き釜の件は解決したみたいだな。」
「被害者は、この村はずれに住んどるヘンゼルとグレーテルの継母に間違いはないと思うとります。」
と、立花警部補は方言丸出しで、
「それで、犯人の目星もついておるんじゃけど、まだこれから事情を聞かせてもらお思うところですけん、お二人にもぜひ立ち会うてつかあさい。」
金田一耕助も磯川警部も休暇を利用しての保養にすぎなかったのだが、こういう事件に巻きこまれた上は、一役かうことになってしまうのもしかたないことであった。
立花警部補は二人を人力車に乗せ、村はずれの小さな家へと案内したわけだが、
その家は、隙間だらけ穴だらけの囲いに屋根がのっかっているような、家ともいえぬ粗末なあばらやであった。
中に入ると、ヘンゼルという男の子とその父親らしい人物の横に小さい女の子がいたのだが、はきだめに鶴とでも形容したいような、粗末な家には不釣合いなこの愛らしい女の子はグレーテルといって、ヘンゼルの妹ということであった。
「まず、ちょっと聞かせてもらいたいんじゃが」
と、立花警部補は父親に鋭い目を向けて
「かみさんをパン焼き釜で殺したのはおまえさんだと言うんじゃな。」
「は、はい・・・なさぬ仲でも仲良う暮らしておる家も多かろうに、あの女は、子供らを邪険に扱うとりまして、わしは我慢しとったんですが、この子らが不憫でならず、とうとう、殺してしまいました。」
すると、男の子が突然
「ぼくが、お継母さまを殺しました」
と、大きな声で言いだしたのには、何の予備知識もない金田一耕助と磯川警部は、さすがに驚きの表情を隠せなかったのである。
実はここにいる三人が、なんと、小さい女の子のグレーテルまでが、それぞれ自分が殺したと主張しているというのである。
「磯川警部、こらいったい、どういうことですら。誰が本当のことを言うて、誰が嘘を言うてるのか、なんでまた、こないな嘘を言いよりますんで。」
と、立花警部の極めつけるようなその調子は、まるで、それが磯川警部の責任であるかのような口ぶりである。
「立花さん」
と、金田一耕助は、警部補の話をさえぎるように
「その屍体は、現在どうなっていますか。」
「発見された翌日は残念ながら『友引』でしたんで、翌々日に、丁重に葬りました。」
「土葬ですか。」
「と、とんでもない、土葬は法律違反ですけん、ちゃんと、火葬ばいたしとります。」
「すると、火葬の前には司法解剖はしたんでしょうね。」
「い、いえ、もう、完全に死んどりますし、焼け死んだっちうことは一目瞭然でございましたけん、解剖はしとりません。」
「じゃ、殺されてから焼かれたのかもしれないじゃありませんか。」
「はあ、そういわれればそうですけんど・・・」
「死因は解剖して確かめるよう、長官からも通達が出てるはずだろう。」
と、これは磯川警部のため息まじりのつぶやきである。
いつもの癖で、金田一耕助はもじゃもじゃの頭を両手でガリガリとかきむしると、フケが大量に飛び散り、隙間からさす日光にキラキラと光ったのである。
「ヘンゼル兄ちゃん、二回目はフケでもよかったのに・・・」
その一言がなければ、このおどろおどろしい殺人事件は迷宮入りするところであったが、このグレーテルの言葉が、金田一耕助をして、本件の解決へと導かしめたのである。
「磯川さん、気づきませんでしたか。」
と、金田一耕助は急に晴れやかな顔をして磯川警部を見ながら
「ほら、キャンプの三日目の夜に、妙に光る小石がところどころにあったでしょう。」
「おお、そういえば・・・」
「この家の道ばたにも同じような小石がたくさんあるのを、さっき見ましたよ。」
「金田一先生、先生は、その石が本件にかかわりがあるとにらんどりなさる?」
「立花さん」
と、金田一耕助は皓い歯を出して笑うと
「犯人はグレーテルです。」
「あっ!」
という驚きの声が一同の唇をついて出たのも無理はない。
まだ、小学校にもあがらない、か弱い女の子に、継母の殺害などできようはずはないではないか。
「グレーテルちゃんが継母を殺したと、ぼくは言ってるのではありません。」
「じゃ、何の犯人なので、もっとわかりやすく話してつかあさい。」
「では、順をおってお話しいたしましょう。」
金田一耕助は、もう一度頭をかき、フケを飛ばしながら
「立花さん、ぼくもこのフケが光るのを見るまでは気づかなかったんですがね。
ヘンゼル君とグレーテルちゃんは、父親の後妻から相当いじわるをされていたようで、
おまけに貧乏で食料もろくになくなり、とうとう森の中に捨てられるはめになったのです。
このことはお父さん、認めますね。」
「は、はい。認めますでございます。申し訳ないことをしてしまいました。」
「ヘンゼル君は、そのことを知って、前の晩に家のそばの光る小石をポケットにたくさん入れておき、森へ行くときに、ところどころに道しるべとして落しておいたのです。
ですから、一回目は小石をたどって戻ってこれたのですが、、二回目のときは、ドアに鍵をかけられていたので、夜中に外へ出られなかったのでしょう、しかたなく、たぶん昼食用のパンを少しづつちぎって道しるべとしたので、鳥かなんかに食べられてしまい、帰り道がわからなくなり、とうとう、森の中をさまようことになったのです。」
「金田一先生、どうして二回目はパンをちぎったと思うのです」
「立花さん、さっき、グレーテルちゃんが
『二回目はフケでもよかった』
と言ったのをお聞きになったでしょう。
ねえ、立花さん、この一言で、この子たちが森へ捨てられたのが二回だということがわかろうというものじゃありませんか。
そして、この二回目は石ころではなく、なくなってしまうもの、とすれば、鳥や小動物に食べられてしまうパンくらいしかないじゃありませんか。」
「な、なるほど。先生のおいいんなさるとおりです。」
「それで森をさまよううち、お菓子の家にたどり着いたのです。
そう、あの大きなパン焼き釜はお菓子の家を作るためにあったのです。
ふつうのパンを焼くのに、あんなに大きな釜は必要ありませんからね。
お菓子を食べている二人を、うまいこと言って捕まえたのが、あの森に住む魔女であったのです。
魔女は、ヘンゼル君を丸々と太らせてから食べようと、檻に閉じ込め、グレーテルちゃんを使って、ごちそうを運ばせていたのです。
魔女は目が悪く、ぼんやりとしか見えないので、太ったかどうか檻に手を入れて確かめたのですが、ヘンゼル君は食べ残しの骨を差し出して、やせてるふりをしたのです。」
一同は、少しばかり小太りのヘンゼル君のズボンのポケットから半分だけ見えている鶏の細い骨を目をパチクリさせながら見つめたのである。
「なかなか太らないので、ごうを煮やした魔女は、大きなパン焼き釜でパンを焼き、その焼け具合を見るようにグレーテルちゃんに言ったのです。
かしこいグレーテルちゃんは、これは自分が焼かれて食べられると気づいたので、
『どうやって焼け具合を見るのか教えてほしい』と、魔女に頼んだのです。」
「なるほど」
磯川警部はうなづいて
「それで、魔女が見本を見せたところを、後ろから押して、扉を閉めた、というわけですな。
これなら小さい子にもできますなぁ。」
「すると、何ですか、死んだのは魔女だといいんさるんで。」
「立花さん、そうなんです。死んだのは魔女で、人間ではないのです。」
「証拠は?」
「証拠は、立花さん、火葬にして灰にしてしまったじゃないですか。」
「では、この男の女房はどげえなことに・・・」
「立花さん、たぶん、甲斐性のない男に愛想を尽かして、家出をしたんでしょうよ。
ところで警部さん、グレーテルちゃんは罪にはならないんでしょう?」
磯川警部はニコニコして
「むろんです。魔女を殺してはいけないという法律は無いし、仮にあったとしても、正当防衛ですな。」
すると、立花警部補が困った顔で
「では、この男は、無責任父親罪で逮捕しますんで?」
「逮捕したら、ヘンゼル君とグレーテルちゃんの面倒を誰がみるのかね。
立花愚裏夢警部補、本部への報告書は、金田一先生の推理どおりに、きちんと書いておきたまえ。」
停車場につき、立花警部補の見送りを受けて列車に乗った二人は、しばらく無言であったが、あの事件があった森が遠くなり、ついに見えなくなったとき、磯川警部はこんなことを言ったのである。
「金田一さん、死んだのは本当に魔女だったんですか。」
金田一耕助は少し微笑んで
「警部さんは、やさしいお方だ。」
とだけ、ささやいたのである。
昭和××年8月19日 藪野誌是 |