名作どうわ選

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 2001/10/22

 「すっぱい葡萄」です。
         すっぱい葡萄のイソップの寓話はご存知ですよね。
         飛び上がっても届かないもんだから、「すっぱい葡萄なのさ」って
         悪口を言って立ち去るっていう狐のお話。
         そのとき、どういうわけだか届いたので、食べたらやっぱりすっぱかった
         なんていうコントを見たことあります。
         
         寺山修司って、ご存知?
         もう、20年近く前にお亡くなりになった人。
         「書を捨てよ、町へ出よう」とか「時には母のない子のように」とか。
         東北訛りで語る寺山修司狐です。タモリという説もあります。
         

  すっぱい葡萄
                 お話 寺山修司(?)
ボクはアノ、子供の頃、つまり母親と決して良好な関係にあったわけではなくて
それは、その、ボクの方で、かってにそう思い込んでいたんじゃないかって言う
人もいるわけですが、ボクはカネガネ相思相愛という言葉に対する、アノ、本質
的な嫌悪が、ボクの脳みそに存在すると思っているわけです。つまり、あるもの
があって、それにボクが好意をもった、ということがひとつあって、ボクはずっ
と想い続けていたわけですね。つまり、相思相愛であれば、ボクは、たぶん、そ
のあるものとのあいだに、連続性を持つナワという、アノ、愛を、つまり、幻想
するわけです。そうした場合にふとボクが山道を通りかかって、ベリーAという
ボクの見たこともない葡萄を発見する。それを何気なく見ているときに、ボクは
アノ急にこれはボクの胃袋に入れなくてはならないって感じがあったわけです。
それを、ボクはカネガネ自分の跳躍力に自信を、その、持っていたわけで、ボク
の背丈の倍は高いところにあるベリーAをアノ、とろうとソノ思ったわけです。
結局、とろうとするボクの試みがアノ、とろうに終るわけですが、ボクはアノ、
食べるにはベリーAはすっぱいってことを、アノ、ボクが赤ん坊のころ、祖母か
ら聞かされていたことをアノ、思い出すわけです。ボクはカネガネ葡萄を好きで
はあったのだけれども、葡萄の方はボクを好きではなかったというアノ、冷たい
現実にぶつかるわけですね。で、そのとき作ったボクの詩がアノあるわけですが
まァ成功しなかったというひとつの事実があるわけです。*注  
          おしまい

*注 
 葡萄の木の前に立っていると
 ボクは
 悲しくなってくるのです
 
            (修司ぶどう詩集より)   ← 
うそです。

寺山修司が肝硬変で亡くなったのはもうずいぶん前です。
タモリが寺山修司の物まねをしたのは寺山が生きているうちだから相当前です。
NHKかなんかでテーブルの上の灰皿を見ながら
「ここに灰皿があるわけです。ボクはカネガネ灰皿というものは現実性と1:1に対応して
いるとおもうわけです」なんて物まねしたわけですが、ボクはそれを聞いて、だれだっけ
かなあ、こないだ聞いたことあるなあ、と考えたわけで、後で寺山とわかるわけですが
寺山修司の思考過程まで物まねされているように感じて、ひどく感心したことを、つい
昨日のように覚えております。
私は、寺山修司は好きな部類じゃございません。
でも、こういう語り口は興味がありました。
                                    藪野菜加太


御意見板より

寺山修司にはいまもなお熱烈なファンがおられます。

不思議な魅力はございましたね。

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とことこ@めだかにむちゅう さん HomePage 投稿日:2001年10月22日(月)
 
本日はお寒うございます。
「酸っぱい葡萄」を拝見致しました。正直に申しますがわたくしは
寺山修司さんと言う方はピンとこないのでございます。
「時には母のない子のように」が大ヒットしていましたが
恥ずかしながらようわからん状態だったのであります。
ありていに申せば理解不能でわたくしが悪いのか
寺山せんが悪いのかそこもまだ疑問が解けておりません。

申し上げたいのは「干しぶどう」が出てこなかったので
ホッと致しました。ではこれで失礼させて頂きます。 
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はゆこ@どどいつ枯れ さん 投稿日:2001年10月22日(月) 
 
やぶ先生、最近とみにペンが滑らかに進んでおられるようで、
読者としては嬉しい限りです。
今回のは、大人っぽくて、とても都会的ですね。
読んだ後、ちょっと気取った仕草で、茶碗など洗ってみました。

やぶ先生は、「ひきだし」が実にたくさんあって、守備範囲が広いなぁ、
と常々思っておりました。
んが、先ほど、ハタと気づきました。
藪野氏の全作品を支える『背骨』となっているものー、それは、それは、
「タモリ」だったのですねっ!!

それでは、
今日は、これからイチローを応援しなければなりませんので、
これにて失礼致します。 
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Catmint さん HomePage 投稿日:2001年10月22日(月) 
 
「寺山修治は天才だ」
という話を小耳にはさみ、一度読んでみたいものだなと
思っていたところ、見つけました。うちで寺山修治の競馬の本を。
1ページ、2ページと読み進んでいくうちに、ついに、読むのを
断念しました。文章が回りくどくて、すっきりしないんです。
どうやら、私の頭では、理解できないらしいです。

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青影拓哉 さん 投稿日:2001年10月22日(月) 
 
ひさしぶりに寺山ブシを聞きました。
ちょっと懐かしかったな。

なまってるから、失敗がすっぱいになったんだな、これが。(笑) 
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YABU@開店休業 さん 投稿日:2001年10月22日(月)
 
とこさん
>理解不能でわたくしが悪いのか寺山せんが悪いのか
寺山修司さんが悪いんです。難しいことをやさしく表現することが肝要なんです。
易しいことを難しく表現するのも楽しいものです。
「おお、なんだ、こんな簡単なことを言ってたのか!」なんてね。

はゆさん、タモリと私は同じ世代ですので、興味が同じ傾向があるかもしれません。
出鱈目な言葉の歌舞伎のセリフとかね。

ミントさん、寺山さんは確かにストレートに表現しませんね。
私の好みでもありません。でも、面白いでしょう?

青影さん、寺山ブシ聞いたことあるんですね。
よかった、私だけじゃないかって、心配になってました。 
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tapura さん 投稿日:2001年10月22日(月)
 
私も久しぶりに寺山ブシを聞きました。

彼の声やイントネーションは、たいへんよく思い出せるのに、
彼がいったい何を言わんとしていたのかを、
きちんと聞いたことがありませんでした。
理解しようという姿勢が、私には最初から無かったような気が致します。

と言うことを、今回の「すっぱい葡萄」で、初めて気付かされた次第です。
なぜなら、この作品の中で、作者は何を言わんとしているのか、
私は、理解しようとする努力を途中で放棄致しました。
つまり、今回の作品は、少なくとも私にとっては、
まさしく寺山修司だったのです。

毎度、息抜きに調度良い、楽しい読み物をありがとうございます。
タモリの寺山さんの物真似もたいへんよく覚えておりますよ。
藪野さんより、ずっと若いけど。 
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よいこ さん HomePage 投稿日:2001年10月22日(月) 
 
北山修なら聞いたことがありますが、寺山修司はよくわかりません。
タモリを真似している人はテレビでよく見ますが、
タモリが誰かを物まねしてるのは、よく覚えていません。
私って若いんですね。きっと。
最初の母親との関係とか相思相愛の話は何だったのか・・
あ、いまわかりました。ぶどうに好かれてなかった??
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YABU@開店休業 さん 投稿日:2001年10月22日(月)  

たぷさま、まあこのお話の眼目は、葡萄を
とろうとした行為が徒労におわった、
というところで。
いや、面目ない話です。

宵子さま、タモリははじめは物まねしてました。イグアナなんかをね。
しかし、中国人と韓国人とフランス人とイタリア人かなんかがマージャンを
やってる場面なんか抱腹絶倒ものでした。
毎年暮になると、徹子の部屋で物まねをするのが恒例になってるみたいですよ。
タモリの物まねのすごいところは、真似する人の思考過程までも真似しちゃう
ところですね。