神田錦町にある活動写真館の見聞記をつくって、わたくしはこれをシンデレ
ラ綺譚と命名した。まだ、無声映画の時代のことである。
錦町の貸席『錦輝館』で活動写真を見た。シンデレラを脚色したものであっ
たので、写真を看るにも及ばないと思った。
しかし、今の人の喜んでこれを見て、日常の話柄にしているものであるから
ついに雪江に連れられて活動小屋へ行ったのである。
ブザーが鳴り、「おせんにキャラメル」と呼ばわっていた売り子が出て行く
と、場内が暗くなり、映写機がまわって、スクリーンにタイトルが映った。
桶みたいなものを洗っている女。
そこへ髪の毛が箒みたいな老女が出てきた。
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弁士「花のパリイかロンドンか、月が啼いたかホトトギス。
嗚呼、今日も今日とてシンデレラは、義理の母親のおまるの掃除をしている
のでありました。
『お義母さまはお義姉さまたちと今ごろはお城でダンスパーティー。
ああ、私はなんて不幸なんでしょう。神様はいないのでしょうか』
そこへ現れたのは、ひとりの魔法使いであります。
魔法使いが杖を一振りいたしますと、あ〜ら不思議。たちまち美しい女性に
変身したシンデレラは、カボチャの馬車に乗ってお城へと行くのでありまし
た」
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冒頭の説明は意味不明であるが、観客はそんなことは意に介さぬようだ。
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弁士 「お城では、若き王子さまがシンデレラとダンスを踊っております。
『あら、あの女の人はどなたなのかしら』
お義母さまとお義姉さまは顔を見合わせております」
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スクリーンには、十二時をさしている城の大時計が大写しになる。次に階段
に残るガラスの靴が下から写されている。それを拾い上げる手の大写し。王子
の手ならん。
この辺の映像構成は巧みなもので、先ごろの、戦艦ポチョなんとかという名
画と双璧であろう。
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弁士「嗚呼、これがあの美しい女性の靴なのか、王子様は思わず頬ずりをする
のでありました。
一方、シンデレラは、屋根裏の物置に座って、ぼんやりと物思いにふける
のでありました。
『ああ、わたし、どうしようかと思いましたわ。王子様が私の手に口をおつ
けになろうとしたのですもの』
おまるの掃除のあと、手を洗ってなかったシンデレラは、十二時の鐘の音
に危機を救われたのでありました。
『あのままでは王子様のノーブルなお鼻がお曲がりになっていたと思うわ』
ほっと安堵の胸をなでおろすシンデレラでありました」
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この場面を看たとき、にわかに青年文学者のような若々しい心持になって、
雪江に、靴に対して偏執的感情を持つ性向についての解説を試みたら、露骨に
いやな顔になり、
「旦那、良いところなんだから、黙っててくださいまし」と言う。
画面は、ガラスの靴を持って訪れるお城の家来が映っていた。
次に、履こうとするが履けない姉たちの大きな足の大写し。
その後に、図々しくも母親が現れ、ガラスの靴を履こうとする。このときの
驚く家来の表情はかなりわざとらしく、興ざめである。
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弁士「家来の一人が、ドアの陰にいるシンデレラを見つけたのでありました。
『まあ、こんな娘は汚いですからおやめなさいまし』
『まあまあ、お母さん、女性は誰でも履かせるようにという命令なのです。
お母さんも履いたじゃありませんか』
嗚呼、運命のいたずらか、はたまた神様の思し召しか、ガラスの靴は、
シンデレラの足にピッタリと合ったのでありました。
シンデレラ、一巻の終わり」
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場内の明かりがつき、「お帰りはこちら」の声。
雪江に
「つくづく活動写真はいやだ。暗いところは嫌いでね」と言うと、
「これから、暗いところへお誘いするんでしょ。ほほほほほ」
女は何やらはしゃいだ調子で帰り支度をはじめた。
翌朝、新聞を見ると、昨夜の映画(活動写真のことを近頃そういうようにな
ったそうだ)の評論が載っていたので、転載しておく。
淀川何某という署名があった。
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[映画・シンデレラ寸評]
冒頭のシーンで、シンデレラがおまるを掃除してました。
まあ、意地悪なお義母さんですねえ。
また、お義姉さんの意地悪なこと。
うまいでしたねえ。あれだけの意地悪な演技は大根にはできませんねえ。
でも、シンデレラは健気ですねえ。文句もいわずに働くんですねえ。
でも、シンデレラの役者はちょっと大根でしたねえ。
この人は、監督が町で声をかけてシンデレラにしたんですねえ。
顔がかわいいですからねえ。
映画界のシンデレラにしようと思ったんでしょうが、
ちょっと失敗しましたねえ。
これは壱千九百二十六年度、パラマウント映画の傑作であります。
では、サイナラ、サイナラ、サイナラ。
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的確な評論であると思う。
それにしても、疑問とするは十二時をもってとける魔法のはずなのに、
片方のガラスの靴だけが、ずっととけなかったことである。
了 |