名作どうわ選

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ホームページ一周年特別企画 2001/2/20

 著名な作家が一堂に会してリレー童話を製作した作品を発見したので発表します。

 題名は「赤頭巾チャン」です。
          作者は江戸川乱歩・夢枕獏・宇能鴻一郎・山本周五郎
          とされていますが、本物ではないかもしれません。

  ネットの仲間から序文を頂きました。(下にあります)

「赤頭巾チャン」(1) 江戸川 乱歩
 「D村近くのX原に数本の大木がある」
 ひとりの青年紳士が、こう言ってコーヒーカップを口に持っていった。
「私は、その日ある人物の目を眩ませようと、いちばん葉が繁っているところの
一本の大木によじ登り、手ごろな枝にまたがって、隠れていたと思ってくれたま
え。一時間もたったころ、赤い頭巾を被った少女が、大きな籠を持ってこちらへ
近づいて来るのが見えた。
 彼女は一面に生えている色とりどりの花を夢中になって摘み始めた。そのとき
嫌な予感がして後を見ると、草に隠れるようにして、あの凶暴きわまりない狼が
彼女をじっと見つめているではないか。
 それを見たとき、君、私はどうしたと思う? ……それじゃ、明智君に見つか
るとうるさいから、これで失敬するよ。 
 ボーイさん、自動車をそういってくれたまえ。じゃ、また明日」
 
「赤頭巾チャン」(2) 夢枕 獏
 陽は、すでに山の端に没していた。
 空にはまだ明るさが残っているが、部屋は薄く闇が漂っている。
 赤頭巾は、壁ぎわにあるベッドの上の異様なふくらみに目を奪われていた。
 ……部屋中に充満している野獣の匂い。
   磁気を帯びたように張りつめている空気……
「お、おばあさん…」
 後ずさりながら、赤頭巾はかすれた声をあげた。
 ぎろりと、赤い眼がにらんだ。
 感情の無い視線であった。
『そのもの』が大きく口を開いた。そこからもれたのは人の声ではなかった。
 狼の声であった。
 ナイトキャップがずれて、異様にとがった耳が額の横に見えた。
 赤頭巾めがけて、狼が走った。
 
「赤頭巾チャン」(3) 宇能 鴻一郎
 あたし、本当にびっくりしているんです。だって、おばあさんの口があんなに
大きく開くんですもの。おまけに歯がギザギザで、とても痛そう。
 あれぇー。あたし、食べられてしまうみたいなんです。
 どうしよう。今朝は寝坊して、歯もみがいてないし、下着だって、きのうの
ままなんです。狼さんは匂いにとても敏感みたいだし。あたし嫌われそう。
 キャー。頭から飲まれていくー。
 なんだかとってもきゅうくつな感じ。でもまわりはヌルヌルしていて、痛くな
いんです。
 あれ、壁がドキドキしていて気味が悪い感じ。心臓のそばなんだわ。
 あたし、ちょっと太めなんです。で、おしりが 横隔膜をとおるとこにひっか
かって、狼さん、何だか苦しそうで。
 そんなことをしてるうち、急に楽になったんです。
 胃袋に入っちゃったみたいなんです。
 
「赤頭巾チャン」(4) 山本 周五郎
 猟銃の先からは、まだ紫の煙が出ていた。猟師は、急いで狼の腹を、彼の大き
なナイフで裂いた。
「私、助かったのね」彼女が云った。「貴方が助けてくれたのね」
「いや、あなたがたを助けたのは、そこで死にかかっている狼ですよ」 猟師は
ぶっきらぼうに云った。
 赤頭巾は、おばあさんの介抱をしながら彼の話を聞いた。
 赤頭巾とその一族を死刑にしようとしている領主一味が、この家のそばにいた
こと。この狼が、赤頭巾の父親に助けられたことがあること。狼が赤頭巾を飲む
ところを領主一味が見ていたこと。
「それで歯をたてないように、そっと飲んだのね」 赤頭巾の膝にぽとぽと涙が
こぼれ落ちた。
「……赤頭巾チャン」狼は焦点のぼやけた眼で、彼女に微笑んだ。
「うまくいったようですね。おめでとう」
机の引出しから、14年も前の原稿が出てきました。
週刊朝日の文体模写の企画に応募したものです。
結果は、もう一歩で入選という欄に名前が載っただけでした。(モジリ庵というペンネーム)
まあ、昔から役に立たないことに力をいれていたという証拠ですね。
入選作品の著作権は週刊朝日にあるようですが、入選してないのだから良いでしょうね。

 この医学怪文書の館へのお客様へ、この童話をささげます。
 

 念のため 「これはパロディです」   え?言われないでもわかる? 失礼いたしました。 

*各界からの序文

net13ttkk さまから 2001年2月20日

 ★福田恆存氏の序

 私は竹薮先生とは縁もゆかりもない。
その竹薮先生から新刊「解決赤頭巾」を読んでくれ、又出来れば宣伝も
手伝ってくれとの依頼があった。
 私はどどいつの創作が忙しくってそんな暇は全くなかったが、 前回
すこし関係があったので、ひきうける羽目になってしまった。
 文学に全く無縁の私がこのような紹介者に志願したのは全く上記の事
情によるものである。先生に二輪のくつわのデイレンマがあるのと同様
に、読者にも日々多忙のデイレンマがある。従って、この文学をごらん
の各界の専門家諸氏は、この文学がいいとも悪いとも即座にわかりはし
ない。
 そもそも、文学には良いも悪いもその立場がないからである。
 自由主義日本の文学というものは、最後の判断を読者の英知に委ねる
のが本筋であろう。
 改めていうまでもなく、竹薮先生はその専門分野においてもっとも信
頼できる斯界の最高権威者である。そういう方がわれわれのために、寸
暇を割いてくださったことに深く感謝する。同時にその気にさせた甲斐
氏や床登古氏にお礼を申し述べる。
 先生が二輪のデイレンマから抜け出し、もっと文学に傾注されんこと
が、われわれ読者にとってもっともよい状況となることは容易に理解さ
れるであろう。

      1986年正月吉日   福田恆存 

kaigenjijiiさまから  2001年2月21日

★島崎藤村氏の序
 (内容的にはご自身の序文のようですが、署名をみたら「藤村」となっておりました
   ひょっとしたら「ゴッドハンド」の方かも知れません。殆どパクリのようですから)


 遂に新しき文学の時は来たりぬ。
 そはおぞましき魑魅の如くなりき。あるものは古の武人の如く語り、
あるものは西のエロスのごとくよがり、いづれも暁闇と新声と妄想とに
酔へるがごときなりき。
 老いさらばえた想像は長き眠りよりさめて、民族の言葉を飾れり。
伝説はふたたびよみがへりぬ。自然はふたたびあたらしき色を帯びぬ。
新たなる視点はまのあたりなる生と死を照らせり。過去の壮大と衰頽を
照らせり。
 古きもの書きの群れの多くは、ただ 穆実なる青年のときを懐かしむ
中年なりき。その芸術は老成なりき、完全なりきと思いこみき、さらに
また、偽りも飾りも数多ありき。されど 中年のいのちは彼等の口唇に
あふれ、感激の涙は彼等の頬の皺をつたひしなり。 こころみに思へ、
老醜横溢なる思潮は幾多の中年をして殆ど寝食を忘れしめたるを、ま
た思へ 現代の悲哀と煩悶とは幾多の中年をして狂せしめたるを。
 −中略−
 ああ物語りはわれにとりて自ら責むるの鞭にてありき、 わが中年の
胸は溢れて花も実もある四つの物語とはなれり。われは今、中年の記念
として、かかるおもひでの物語をかきあつめ、友とする人々の前に捧げ
むとはすなり。 

 以上の序はYAHOO掲示板の「どどいつなんぞいかがでしょう」に掲載された
 ものです。(現在は事情あって閉鎖されました。七番目の星に過去ログあり)

   結局、こういうおふざけは中高年の特権であり、文学の発展に貢献多大である、
   ということらしい。
   かかる、格調高い序は、とても余の及ぶべくもあらず、ただ、尻尾を巻くのみ。
   筆者、膚に粟を生じ、恐懼して、ここに謹んで掲載す。
                                        藪野菜加太

   1周年特別企画〜リレー童話〜

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