W杯決勝戦、ブラジル対ドイツの前半43分。
クレベルソンのシュートがバーをたたいた。
もう少し低かったらゴールしただろうか。
カーンは「はじき出していた」と主張するだろう。
確かに、VTRで見ると、ボールの当たったバーのすぐ下に、カーンの右手のグローブが大きく広げられている。
それまでの6試合、ゴールの枠内に飛んだシュートは全て、カーンがはじき返していた。
たった一度許したゴールでさえ、手に当てている。
そう、グループEのアイルランドのロビー・キーンが放ったシュートだ。
カーンの手にあたり、ゴールポストに当たって入ったあのゴールの他は、ゴールマウスの扉の鍵は誰にも開けられなかった。
現にこの決勝戦の前半でも、ロナウドと三度一対一になり、一度は落ち着いたポジション取りでシュートコースを消し、あとの二度は枠内にシュートを放たれながらゴールを割らせなかった。
カーンの守備は完璧だったのだが・・・
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ドイツの国歌です。ハイドン作曲。
弦楽四重奏曲「皇帝」の第2楽章のメロディ。
カーンにぴったり。
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★カーンは泣いた 02/8/2up
エジウソンのユニフォームが破れた。
着替えるのに少しの間手間取った。
新しいユニフォームは、複雑すぎる構造なのだ。
決勝戦の後半、まだ0対0だというのに、ピッチは緊張感から開放された。
そのちょっとした時間に、主審のコリーナはカーンに歩み寄り、にこやかに話しかける。
離れ際に、コリーナの大きな目がちらっとカーンの右手を見た。
カーンの右手が心配だったのだ。
それは後半7分のことだった。
ショートコーナーからドイツゴール前に上げられたボールに、シルバのたたきつけるようなヘディングシュートがカーンの脛に当たった。
前のめりになったカーンの目の前にボールとシルバの右足があった。
カーンは大きなグローブをはめた手でボールを抑えようとした。
シルバはカーンの右手とボールを同時に蹴った。
カーンは数秒間うつぶせのまま右手を左手でおさえて顔をしかめた。
このとき右手の外側の靭帯が損傷したのだ。
スキンヘッドのコリーナ主審が、立ち上がったカーンの肩に手をかけて話しかける。
フィールドプレーヤーと違い、ゴールキーパーの場合、治療が終了するまで試合はストップされる。
たぶん、治療するかと、コリーナは聞いたのだ。
しかしカーンは治療をしなかった。
ゴールキックを自ら蹴った。
2分後、カーンは相手陣にボールが行ったときに、グラブを脱いで治療を受けている。
だから、コリーナ主審はエジウソンが着替えにもたついているとき、カーンを気遣ったのだろう。
カーンは、何故、試合を止めて充分な治療を受けなかったのか、わからない。
少ししてから痛みが増したのかもしれない。
あるいはカーンの思考回路は常人とは異なるという方が当たっているのかもしれない。
リバウドの、低い中距離シュートがカーンの正面に飛んだとき、コリーナ主審の危惧は現実のものとなった。
後半21分。
小雨がいくぶん強くなったのがテレビの画面でもわかる。
カーンは前に倒れこみながら、抱え込むようにキャッチしようとした。
無回転の重いシュートは、雨にぬれていた。
靭帯を損傷している右手にとって強烈過ぎるボールは、カーンの体から離れて、横へはじけた。
そこにはロナウドがいた。
カーンに頼り切っているドイツバックスは、今大会の得点王をフリーにしたのだ。
カーンはロナウドのシュートコースに両手を伸ばしたが、少し遅れた。
今大会初めて、自分の体のどこにも触れることなしにゴールを許した。
カーンの表情は余り変わらない、ように見えた。
33分、ブラジル陣深く蹴りこまれたカーンの大きなゴールキックは、直接ブラジルバックのヘッドでカフーにパスされ、ブラジルの速攻を招いた。
クレベルソンにパスして走りぬけるカフー。
カフーにワンツーリターンすると見せかけて中央へ横パスをするクレベルソン。
そのパスをまたいでスルーする、バックスをひきつれたリバウド。
ワントラップシュートをカーンの逆をついて放ったロナウド。
これぞセレソン。
カーンは、自分の左方向から中への速いパスとリバウドの動きに合わせてゴール中央より左めに位置し、スルーされた瞬間、右のロナウドに向きを変える。
シュートはカーンの左方向に蹴られた。
それでも、カーンはボールに向かって飛び込んだが、触れることはなかった。
勝負はついた。
コリーナが終了のホイッスルを吹いた。
カーンは、グローブをはめたままの痛めた右手でボトルを鷲づかみにし、水分を補給した。
グランドではセレソンが歓喜している。
グラブを脱いでゴール内に投げ捨てたカーンに、ドイツのディフェンスのリンケが歩み寄り話しかける。
カーンはゴールポストに寄りかかった。
ブラジルの喜びはまだ続いている。
ドイツの監督フェラーがカーンに近づいて声をかけた。
カーンはゴールポストに背をもたせかけながらゆっくり腰をおろした。
カーンの表情はそれほど変わらず、目は遠くを見ていた。
30秒ほどたったとき、さらに体勢を深く沈み込ませて、カーンは顔をゆがめた。
フェラーが、セレソンを率いたフェリペと互いの健闘をたたえあっているところへ、カーンがゆっくり歩み寄ってきた。
試合終了からすでに6分が経過していた。
カーンには、歩けるまでにそれだけの時間が必要だったのだろう。
間もなく、ドイツ選手が横に並んで、お互いにつなぎあった手を上げ下げして観衆の声援にこたえる。
カーンは一人だけ離れていた。
両手を腰のあたりにおいて下を向いていた。
泣いているように見えた。
カーンは、ロナウドのどちらのシュートを悔やんでいたのだろうか。
カーン。
彼は人間ではないという人がいる。
それは、彼の容貌によるものも加味されるが、何を考えているのか
わからないという、いくつかのエピソードにもよるのだろう。
負けているときに、味方のコーナーキックで、敵陣まで上がっていき、パンチでゴールを狙って退場になったそうだ。
しかし、決勝戦のカーン
ベスト4をかけてアメリカに勝った後、大の字に倒れこんだカーン
やはり、彼は、まぎれもなく人間である。
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